WBC2次ラウンド・イスラエル戦。負ければ得失点差勝負に成りかねない状況で先発好投した「おばけフォーク」の千賀滉大。育成選手から侍ジャパンまで上り詰めた千賀についてソフトバンクの恩師が語る。
侍ジャパンで中継ぎに先発に好投の千賀
2次ラウンド・イスラエル戦の先発が素晴らしかったのは勿論ですが、オランダ戦を始めとした中継ぎでも強烈な印象を与えるピッチングをしています。
「育成の星」千賀を育てた恩師倉野コーチ
ソフトバンク・倉野信次1軍投手統括コーチ(42)は3軍投手コーチだった11年、育成1年目の千賀と出会った。どちらかと言えば「落ちこぼれ組」だった男が、6年後にはWBCで先発を務めるまでに成長。シンデレラボーイを育てたのは、長所を伸ばし続ける育成法だった。
育成ドラフト4位の背番号128。11年に就任したばかりの倉野3軍投手コーチにとって千賀の才能は周囲と比べ、特別な輝きではなかった。「体の柔らかさや、肩の可動域は見るべきものはありました。ただ、正直、他の育成ルーキーの方が良く見えていた」
4月には3軍練習でメニューの半分も走ることができず「気分が悪い」と離脱した。「軽いメニューなのにある意味、衝撃的でしたね(笑い)」。無名の愛知・蒲郡では高2まで膝痛を抱え、練習もできなかったのだから当たり前だが、前途多難だと誰もが思った。
1年目の育成の方針は「良さを消さないこと」。千賀の場合は体の柔軟性を生かす体力、筋力、体幹に欠けていた。課題の制球には手を付けず、直球を生かす体力づくり。「強制的にやらせた。ブーブー言いながら、向上心だけはあった」。4カ月後の3軍の名古屋遠征で衝撃の姿に変身を遂げる。「(千賀の)地元だし“行ってこい”と送り出したら3者連続三振。鳥肌が立ちました」。高校で144キロだった直球は、1年目で最速152キロをはじき出した。
3軍があったから誕生した選手であり、偶然、最適の師もそこにいた。「エンジンは凄いけど車体は軽自動車だった」と倉野コーチ。1軍へ舞台を移した師弟関係は継続中だ。「完成したとは思えないし、まだ、6、7割くらい」。師は残りの3、4割が加わった完成形に思いを巡らせる。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170316-00000082-spnannex-base&pos=2
いじり倒して潰すコーチも多い
いったい何人の将来有望な若者がコーチの指導によって潰されてきたのでしょうか?(遠い目)
「良さを消さない事」
やっぱこれですわな。
地元蒲郡でも無名だった千賀
2017/03/16 08:45
ソフトバンクだからこそ、当たった選手。
巨人やヤクルトの在京球団なら、下手したら戦力外。
良く育てたと思うし、期待に応えた千賀も立派だと思う!
2017/03/16 08:58
2017/03/16 08:44
2017/03/16 08:52
あくまで最大瞬間風速みたいなもんだから。
だいたいアベレージは良くても130中盤。
それが今やアベレージで150くらいだもの。
すげぇったらありゃしねえ。
2017/03/16 10:18
2017/03/16 10:45
なかったのに凄すぎる
2017/03/16 10:10
それに、スカウトの目も称賛だよな。
2017/03/16 11:14
他の球団も見習わないとね。
2017/03/16 08:51
2017/03/16 08:43
先発の柱に成るエースが産まれた良かった。
2017/03/16 09:03
西武もなって欲しい笑
2017/03/16 11:59
2017/03/16 11:13
スカウト、球団のシステム、コーチの質、本人の才能と努力の全てが揃わないと出てこなかった選手。奇跡的です。
2017/03/16 11:24
それでも十分速いけど今の投球をみたら昔から豪速球投手なのかと思った。
ほんとよく育てたなあ。
2017/03/16 10:13
2017/03/16 08:49
2017/03/16 09:17
2017/03/16 09:10
2017/03/16 08:47
決勝ラウンドでも頑張れ
2017/03/16 12:36
[…] 育成枠で入団しエンジンはでかいが身体は軽自動車賀だった千賀滉大。 高校時代は地元蒲郡でもまったく無名だった男が世界の檜舞台で輝きました。 「身体はでかいが@@は小さい」 […]